某B型就労支援事業所に通っていた時【その5】

2015年9月10日

11日になってしまった・・・

体調が悪く、病院に行けなかった。

住宅のエレベーターはみんなが利用するものだから、お互いに譲り合うことも当然。

これも時間のためなのか?

少しは時間だけではなく、周りのみんなのことを考えたら、どうだろうか?

主任(職員)さんは、急に背中が痛くなり、みんなの前で大騒ぎ。

おやつを自分のおごりと言い、おやつを出す。

普通に16時に帰る。

同じ職員のMさん、Yさんのことも考えて欲しい。

社員として、主任の自覚がなさすぎる。

あの人は口ばかり。何もしない。

あの人の勤務態度の悪さを、社長に訴えたい。

 

9月11日

12日になってしまった。

ヘルパーさんが3日間同じ人。

とにかく細かくつっこんでくる。

私はその時、その体調や様子に判断しているので違って当然。

何か言えば、言い訳や話をそらす。

嫌な気持ちの3日間だった。

やってもらっていることはありがたいが、引け目を感じる。

もどかしい。

 

9月30日

保険会社から病院に連絡がいった。

弁護士さんに治療の経過報告と今後のことについて連絡。

治療は継続とのこと。

 

10月3日

Iさんの言動、態度、すべて気になる。針のむしろだ。

Aちゃんは不安定。

主任(職員)親子はは、役立たず。

正直行きたくない。

Iさんは、私にはメールのやりとりをやめたいと言ったが、AちゃんにはOK。

優しい。

私は悪者にされている。

悪者にされる意味もわからない。

第一、くだらない。

今は、ちょっと頑張れない。

イライラしてる。かんしゃくを起こしそうだ。

Aちゃん、何とか落ち着いて欲しい。じゃないとAちゃんも周りの人も影響を及ぼす。

 

10月1日

病院から健康保険での治療を告げられる。

10月3日

弁護士さんから連絡あり。

しばらくは健康保険で治療してくださいと言われる。

 

 

 

 

某B型就労支援事業所に通っていた時【その4】

2015年9月1日

9月になってしまった。

今日は病院→事業所→大谷地病院とハードな1日。

ヘルパーさんは、誰のために存在するのだろうか?

利用者のため?

時間短縮のため?

ヘルパーさん自身のため?

だんだんわからなくなってきた。

私たちはロボットではない。

コマでもない。

思い通りにいかないのが世の常なのに、人のせいにしないでほしい。

私だって自由に動きたい。

だからここにいる。

主任(職員)さんとヘルパーのSさんは似ている。

悪口を言うのをやめてほしい。

私の気持ちも考えて欲しい。

誰とは言わないけど、そういう人には感謝の気持ちはもてない。

W(今はS)さんが再会を喜んでくれた。嬉しかった。

 

9月2日

新しい薬で1日中ダウン。

熱中症をおこしかけていた。

つらい。動けない。

トイレに行くのもやっと。

部屋の中にトイレがあれば。

今夜、新しい薬を飲む。

平気か・・・悩む。

仕事や生活にも支障がおきる。

行きたいのに行けない。

パソコンの仕事がしたい。

スキルアップしたい。

でも、どこを目指しているのかわからない・・・

色々考えると頭が混乱する。それが原因で夢をみる。

人間関係は、私もうまくなれない。だから悩む。

同じ共同住宅に住むEさんが梨をくれた。うれしかった。

お見舞いに行こうと思う。

 

9月7日

しばらく書かずサボってしまった。

めんどくさいという気持ちになった。

でも、体調もよくなく落ち込んでいた。

主任(職員)さんの機嫌が悪かった。

私よりも早く帰った。

不信感を抱いている。

ああいう人が主任なんて、信じられない。

Aちゃんの入院・・・よくわからない。何とも言えない。

個人的には入院して、今よりも改善されるなら、入院するのも1つの治療だと。

彼女は自分で自分のことを判断が出来ないと思う。

周りが見えないと思う。

私は彼女に対してイライラしている。

自分のことを限られた人しか話さない。作業をしないだろう。

Aちゃんにイライラしている自分に腹が立つ。

自分はどうでもいい人間。

Iさんが心配してくれているのは嬉しい。

Kちゃんが気をつかってくれるのが嬉しい。

でも、自分が小さい人間だと。

ぽからのみんなに会いたい。

私も、今の生活は入院しているのと似ていると思う。

いつかは、在宅生活に・・・とも思う。

だから、Aちゃんも長い目で考えて欲しい。

まだ若いのだから。

 

9月9日

10日になってしまった。

今日は金曜日。カラオケの日。

誘われて参加した。

Wさんは素直な人。

歩けるのがうらやましいと思う。

私もその気持ち、よく分かる。

私はIさんがうらやましい。

動けるし、自分のことは自分で出来るから。

うらやましい・・・本当の気持ち。

ただみんな、言わないだけ。

Aちゃん、ありがとう。

もっと利用者の立場になって考えて欲しい。

私は息つく時間がない。

息が詰まる。イライラする。

人が嫌になる。自己嫌悪に陥る。

共生共働は夢のような話だ。

 

某B型就労支援事業所に通っていた時【その3】

2015年8月28日

今日は久しぶりに街に出た。

帰ってきたら、責任者の笑い声が聞こえた。腹が立った。

私は操られている気がする。

誰のための何のためのヘルパーなんだろう・・・

時間、時間と言われて、私たちはロボットではない。

主任(職員)は、分かっているふりをする。

共同住宅は、主任(職員)の下でも何でもない。

なのに、わかったような口ぶりをしないでほしい。

元の家に帰りたいと思った。

むなしくなる。

 

8月29日

30日になってしまった。

今日は朝のサービスが時間通りに来なく、1時間ほど予定がくるってしまった。

腹が立ち、言葉を失った。

今の責任者の態度には目につく。

本当に介護者なの?と思う。

主任(職員)さん、責任者・・・会いたくなかった。

事業所を休んだ。

爆発しそうだった。

すべてがむなしくなった。

あの2人に支援を受けないといけないと思うと、自分が嫌になった。

主任(職員)さんに「あなた、きらい」と言ったら、私はここにはいられない。

職員って、そんなにえらいの?って思う。

気にしないようにしようと思うけど、目につく。耳に残る。

主任(職員)に、私の生活を乱されたくない。

共同住宅に住むAさんに、飲みに誘われた。

同じく共同住宅にすむKさんが、荷物を持って4Fまで来てくれた。

私もみんなから元気をもらっている。

この住宅に住む人たちと少しずつ仲良くしたい。

そして、少しでも役に立ちたい。

 

8月30日

台風の影響で風が強い。

ヘルパーさんには、いろんな人がいる。

私は支援を受けているので、あまり言いたくないけど、我慢にも限界がある。

チームワークで支援して欲しい。

何か言いうと、苦情とみなされる。

それがもどかしい。腹が立つ。

事業所のメンバーであるIさんが怒っていた。

嫌な気分になる。

場を考えて欲しい。

でも、言いたいことはよくわかる。

だから、考えてしまう。

主任(職員)さんがいる時に行った欲しかった。

これからどうなるんだろう?

住宅も就労も。

事業所にいるとつらくなる。

息が詰まる。苦しくなる。

早く帰りたいと思う。

原因は分からない。

自分の時間をつくりたい。

今はそれだけ・・・

 

某B型就労支援事業所に通っていた時【その2】

2016年8月26日

今日は焼肉。

でも行ったら、終わっていた。

終っていてホッとした。

主任(職員)は、相変わらずうるさい。口ばかり。

そのくせ何もしない。

見てて腹が立つばかり。

責任者の男性は、私に目を合わせようともしない。

挨拶もしない。

関係ない・・・というふうに思われているのか?

みんな同じなのに・・・

Iさんが、私たちのためにアイスを買ってきてくれた。

嬉しかった。

おやつは毎日でなくてもいい。

たまにだから楽しいのでは。

そういうさり気ない気づかいや優しさが、主任(職員)にはない。

本当に職員なのか?

Sさんが来てくれたのに、あの騒ぎ様はない。

私はうるさいのは苦手。

逃げたい、避けたいと思う。

夢にまで主任(職員)が出てくる。

拒否反応を起こしている。

Wさんが9月からくる。何となく不安を感じる。

 

8月27日

28日になってしまった。

主任(職員)は、ずるいと感じる。

Yさん(職員)に買い物を任せて、ずる過ぎる。

そして責任者は、何も出来ない。

おちつかない。

人の話を聴かない。

稼働に時間がかかりすぎ。

何もかもが怒りが爆発寸前。

責任者の人はともかく、主任(職員)は上から目線。

姉が来ると言うが、姉はヘルパーではない。

とにかく腹が立つ。

 

某B型就労支援事業所に通っていた時

2016年8月25日

26日になってしまった。

明日は焼肉パーティー。憂鬱で行きたくない。

主任(職員)がうるさい。

耳につく。もう勘弁してほしい。

職員がこんなにうるさく、落ち着かないのは考えものだ。

事業所に行っても行かなくてもいいのかなと思う。

今、何か中ぶらりんと時間に追われている。

行きたいところにも行けない。

それが窮屈かもしれない。

でも、それは私のわがまま?

毎日が何となく憂鬱で、しっくりこなくて、時間に追われて・・・しんどい。

骨折しました!

3月23日の木曜日の夕方、ヘルパーさんに入浴介助していただいた後、更衣介助していただいている時に転倒して左手を骨折し、全治6週間のケガをしました。
幸い、足でもなく右手でもなく、左手だったので良かったのですが、上下肢・体幹障害のある自分にとってはとても不便。正直に言うと悲しいやら、悔しいやら、情けないやら…内心、いろいろな気持ちが混じって精神的にもかなりめいっていました。
でもヘルパーステーションからも、共同住宅の職員からも、社長からも何も謝罪がない。たぶん市役所にも報告していないでしょう。
ちなみに、その時入浴介助を担当したヘルパーさんは、パートであれどもサービス提供責任者という立場の人間です。
今のヘルパーステーションの管理者とサービス提供責任者とは、前職場の同僚ということもあり、一心同体という言葉がふさわしいぐらい仲が良く、結束力が固い。
あらためて契約書を読んでみると、「サービス中の事故はすみやかに医療機関、相談機関、市役所に報告し対応します。」というような内容で、保険会社の会社名もきちんと書かれてあるのに、ケガをした後も、ヘルパーステーションからは何も言ってこない。
今住んでいる共同住宅に住み続けるには、このまま黙っているのが正しい選択なのかも知れないけれども、心の中は悔しさでモヤモヤしています。
今住んでいる共同住宅を紹介していただいた、以前通っていた就労支援事業所の管理者さんは、もうとっくに辞めてしまい転職したため、今の共同住宅に住む義理も人情も何もなく、設備的にも、システム的にも決して良いとは言えないので、潮時かなと思っています。

相談室にも、この件について相談しましたが、「実際にその現場にいたならば、相談室としても札幌市にも通報出来るけど、その場にいないため何も出来ない。」とのこと。
いろいろな人(ごくごく限られた人ですが)にも相談したところ、「まずはヘルパーステーションにきちんと言うべき。」というアドバイスをいただき、思い切って骨折部分のシーネが取れる前に、施設管理部長に話し合いを求めたところ、部屋にやってきたのは、ヘルパーステーションの管理者でした。
その管理者は利用者さんに対しても、ヘルパーさんに対しても、非常にひねくれた論破で相手の心を打ち砕き、冷酷非道な人間として共同住宅ではとても不評な管理者です。
その管理者相手に話し合いをするのは、正直かなり戸惑いましたが、この場で怖がっても話にならないので、思い切って今回の骨折に費やした病院代と病院の往復にかかった交通費の請求を求めました。
すると、次のような管理者からの回答が返ってきました。

「今回のケガについては、ヘルパーに確認したところ、いつも通りのケアをして起こったことなので高橋さんの自己責任です。」
「こんなことで責任問題にされたら、介護業界はとんでもないことになってしまう。」
「例えば、ヘルパーと歩いていて、利用者さんが突然足をくじいたのならば、それもヘルパーの責任ですか?」
「自分で起こしたケガなのに、病院の治療代と交通費を請求するなんて、私たちに責任転嫁していますよね。それって、ひどいことじゃないですか?」
「病院に包帯を巻きなおしに行くぐらいなら、一時的にも訪問看護を利用する方法だってあったのに訪問看護を利用しない選択をしたのは、高橋さん自身ですよね。」
「もし問題を大きくするのであれば、裁判になりますよ。」
「高橋さんは自分で立てる(実際には立っていない)と思ってやったから、その上でのケガですよね。それをヘルパーの責任にされると今後、こちらもどうしたらいいのか…考えますよ。もうサービスに入れなくなりますよ。」

とのことでした。

挙句の果てには、「以上のことをこれで納得されましたか?」と何度も念を押され、「これからも一緒に考えてやっていきましょう。」と本当に口だけの和解で(という表現がふさわしいのか?どうか?分かりませんが)事業所としては治療費用も何も負担しない、札幌市にも一切報告せず、話し合いは終わりました。
あまりこういう表現はしたくないのですが、今回の入浴サービス中のケガは隠蔽という形で終わってしまいました。

私も取り乱したり、感情的にはなりたくなかったので、ヘルパーさんがサービス中にケガをしたり、突然体調不良になった場合や、利用者の物を間違えて壊してしまった場合や食べ物や衣服などを焦がしてしまった場合などの対応について、その管理者に聞くなど、別にどうでもいい話題に切り替えて、何とかその場を乗り切りました。

でも、かといって管理者の言いなりにはなりたくなかったので、「特養ならばきちんと治療費も払ってくれます。」とか、もしヘルパーさんが「ここにつかまってください。」と声をかけてくれたり、ちょっと前に立って、私を支えようすればケガは防げたと思います。と必死に訴えましたが、まったく通じなかったです。    

もし私が、入浴後の更衣中に一切動かずにドカッと座ったままであれば、ヘルパーさんは更衣介助は出来なかったと思います。
それに、どんな介護サービスでも原則声掛け(誘導)と見守りが必須であり、また利用者さん自身も、ヘルパーさんのサポートに対して可能な限り協力するのも、介護を受けている側としての役割だと思います。

障害の有無に関わらず、学校でも家でも「自分で出来ることは自分でやりなさい。」と
誰もが教えられたこと。
介護の世界でも、利用者さんが出来ることは利用者さん自身で行ない、そして利用者さん一人で出来るようにサポートをするというのが、介護の鉄則であり、ヘルパーさんの役割だと思っています。
いつも通りのケアをしているからこそ、常に細心の注意を払わらなければならない。それでなければ「じゃ、ヘルパーさんは何のためにいるの?」という疑問を抱くでしょう。
実際に、そのことを他のヘルパーさん達に伝えたら、「じゃ、私たちの役割ってなに?ヘルパーは利用者のことをただ黙ってみてろっていうことなの!?」
「じゃ、ヘルパーが行なう見守りってなに!?」「病院や特養ならば、今回のケガは大問題だよ!」などとたくさんの疑問を抱きながら、私以上に感情むき出しにして怒っていました。

これは介護に関わらず、サービス業に関わる職業ならば同じことが言えると思います。
それなのに、「自分でやろうとしたからケガをした。」とか「自分でやりたいと思ったからケガをした。」と言われるのは、いかがなものかと疑問に感じています。

それに、一時的な訪問看護の利用のことも、まったく知らされていなかった情報であり、もし、一時的に訪問看護を利用出来たら、選択肢の1つとして考えていたかも知れません。
治療に関しては、ヘルパーステーションが骨折を治療してくれるわけではないので、病院にすべてお任せしており、看護師さんも「包帯がとれたら、いつでも来てください。」と言ってくださったので、移動支援サービスを利用して包帯がとれたその都度、病院に駆け込んで包帯を巻きなおしていただいていました。


正直に言うと、今でも心の底から納得していません。
怒りや悲しい気持ち、悔しい気持ちを通り越して、もう絶望感すら(という表現は大げさですが。)を感じています。
せめて、「ごめんなさい」「すみませんでした」という謝罪の言葉1つだけでも欲しかったというのが本音です。


裁判となると、時間も費用もかなり費やし負担もかかるので裁判にはしません。
札幌市にも通報することも考えましたが、それは私が今の共同住宅を出る時に通報しようと思います。
ヘルパーサービス中の事故とはいえども、監視カメラもなく録音もしていなかったですし、唯一、現場を直接遭遇していた同行研修中のヘルパーさんも、その直後に辞めてしまって、確かな証拠がないので、もしかしたら札幌市は対応してくれないかも知れませんが、
せめて、そういう事実があったということだけでも、ありのまま伝えようと思います。


これからの時代、札幌市(たぶんどこの自治体も同じだと思いますが)は福祉・介護業界に対して審査や条件などが厳しくなってくるとチラッと聞いたので、今回の件を通報したら、たぶん何らかの監査が入ると思います。
私はそう願っています。


今回のケガの影響で、身体のあちらこちらに負担がかかっているせいか、両肩の調子が悪く、検査したところ両肩が肩関節変形症になっており、衣服の着脱や細かい作業が困難になってきているのですが、今回のことで、私のことを心配してくれる入居者さん達や親身になってくれるヘルパーさん、その他の職員さんもいるので、その人達のために、今住んでいる共同住宅を追い込みたくはないので、大ごとにはしないでおこうと思います。


私も、いずれは介護保険に移行する前に、重度訪問介護を利用することを望んでいたので、今の共同住宅から引っ越すことは考えてはいたのですが、今回のことで生活面で恐怖感や、限界を感じているので、今すぐは無理ですが、ゆっくり、じっくり、いろいろな人や相談室などの機関等に協力していただきながら、別の住宅を探そうと思います。


今回の左手の骨折については、単なるケガではないので公にしようかどうか…ずいぶん悩みに悩みましたが、ブログという形で投稿しました。
長文にて、失礼しました。

 

浴室(脱衣場)

 

左手のケガの写真(ピンボケですが…)

 

祖父の命日

今日は祖父の命日でした。


祖父が亡くなって25年。当時私は高校2年生で学校から帰宅後のこと。それは本当に突然の訃報でした。
伯母が勤めている病院で、まるで眠るようにひっそり亡くなったと聞いています。


私が幼い頃は、祖父はまだ会社勤めをしていたので、幼い頃祖父と遊んだり、出かけたりした記憶がないのですが、一度だけ祖父が私の実家に泊まりにきたことは
今でも鮮明に覚えています。
その時に祖父が学生の頃、私と同じく歴史や地理が好きで、地図を見たり読んだりするのが趣味だったことを、私が持っていた小学校の地図帳を見ながら優しく
ゆっくりとした口調で、初めて話してくれました。
今でも地理や歴史の本が好きなのは、祖父の影響と血筋なのかもしれません。(血は争えない…ですね)


そして今大人になり、昔かつて祖父母が住んでいた東区から、祖父が長年働いていた新聞社の社員寮の跡地に
引っ越してきたのも、きっと何かの縁なのかも知れません。祖父が私を導いてくれたのかも。


もっと祖父母孝行をしたかった…と思いますが、今の私が存在するのは祖父母のおかげと思っています。
なぜなら祖父母がいなければ、私の両親はこの世に存在しなかったのですから。
そして、障害を持つ孫の私を、両親とともに支え合いながら育ててくれたのですから。


感謝の気持ちを持ちつつ、また明日から過ごしていきたいと思います。